FAMILY / PARTNERS

■ハインリッヒ・シェンカー(Heinrich Schenker)

父親のハインリッヒ―・シェンカーは建築設計技士(ハウス・デザイナー)でした。妻ウルズラ・シェンカーはBURRN!1986年11月号の「ハノーヴァー物語」でハインリッヒ―は昔、ヴァイオリンを弾いていて、大学時代はヴァイオリンで稼いだお金を学費の一部に当てていたほどだったと言っています。また芸術的な面で才能も持ち合わせていたと言っています。長男のルドルフが15歳か16歳頃、当時、流行っていたバイクを欲しがった時、父ハインリッヒは「事故などしてお前を叱りつけたくないんだ!絶対だめだ!ギターを買ってあげるから辛抱しなさい。」ときっぱりと言ったそうです。父ハインリッヒはルドルフにギターを買い与えたのがルドルフの音楽への興味を示す始まりでした。また、その後、マイケルがギターを手にするきっかけにもなりました。ある日、ルドルフがエレキギターを持っている少年を連れてきて一緒にプレイをはじめ、そこから「スコーピオンズ」が始まったそうです。その時にアンプ1台が必要でした。アンプを買う費用を出してほしいと懇願したところ、父ハインリッヒはその場で同意したそうです。母ウルズラは大反対したそうですが、結局、母ウルズラが折れてアンプを買ってやることになったそうです。そこから「スコーピオンズ」の活動が始まったそうです。しかし、1代のアンプに2本のギターをつなぐので、よくヒューズが飛んで、その度に父ハインリッヒは「はんだごて」ではんだ付けをしていたそうです。ルドルフが「スコーピオンズ」マイケルが「ジ・イノヴェイツ」で活動しているとき父ハインリッヒはいつも運転を引き受けていました。そのために特別に「フォード17M」を購入してルドルフ、マイケル、機材を先にコンサート会場へ送り届け、もう一度戻りウルズラを送る形でした。運搬のに関する経費はルドルフ、マイケルには請求しなかったそうです。当時の「スコーピオンズ」は機材さえ設置できる場所であればどこでも演奏したそうです。なので父ハインリッヒはルドルフと毎晩、村から村にこっそり車を走らせ、コンサートの契約の請け負いも父ハインリッヒとルドルフでしていたそうです。1982年の月間VIVA ROCK(創刊2号)8月号でルドルフ、マイケル、バーバラが7年ぶりに会って話をしている記事がありますがその時に「ママ、パパと最近会った?」とマイケルが二人に聞いている場面があります。その時にパパには2年以上あってないと言っていました。また、ハインリッヒのことを「ジプシー」みたいなもんだと言って、いろんな国を見てるんじゃないかなぁと言っていました。バーバラも1982年の月間VIVA ROCK(創刊号)7月号パパは「今は、南ヨーロッパで人生を楽しんでるわ」と言っています。

■ウルズラ・シャンカー(Ursula Schenker)

BURRN!1986年11月号から「ハノーヴァー物語」と題して3ヶ月にわたり特集をしていました。そこにはシェンカー兄弟の母親、ウルズラがルドルフ、マイケル、バーバラの過去・現在(当時)・未来(当時)と自分のことを語っています。自身のことを次のように言っています。「私は、子供の頃からずっと音楽に囲まれて育ってきました。」母ウルズラはピアノのレッスンを受け引いていたと言っています。今(インタビュー当時)も協会のコーラスで歌っていてピアノも両方共、実践的でありたいと言っています。また、母ウルズラの母(マイケルからしたら祖母)は歌とピアノをこなしていてシェンカー・ファミリーは自然に音楽の血が流れていたと言っています。また、電話交換手の仕事もしていました。長男のルドルフが結成した「スコーピオンズ」の資金管理や借金の返済など、財務面をマネジメントしていたそうです。なので、当時はルドルフ、マイケルに頻繁に同伴するようになったと言っています。3人の子供に対して母ウルズラは振り返っています。一人の母親として存在すること、食事を作ること、彼らをしっかり励ますこと、そして母親の立場として面倒を見てやることが彼らにとって必要な時はいつでもそばにいることができます。母ウルズラが考えていた彼らにに対する将来の職業についての夢や期待には応えてもらえなかったけど、これまで彼らが成し遂げてきたことを振り返ってみると心から3人を誇りに思うと言っています。

■ルドルフ・シェンカー(Rudolf Schenker)

1948年8月31日にハインリッヒ・シェンカーとウルズラ・シェンカーの間に長男として誕生します。ルドルフが15歳か16歳の時、その時に流行っていたバイクを欲しがったことで父ハインリッヒはきっぱりと断り、そのかわりギターを買い与えました。ルドルフは最初のうちはベッドの脇に立てかけているだけだったと母ウルズラがBURRN!1986年11月号の「ハノーヴァー物語」で語っています。しかし、ルドルフは次第に興味を持ち始めギターを手にするようになります。そして1冊の練習本を購入してきてゆっくり身に着けたそうです。マイケルが話していたルドルフのエピソードによればマイケルがまだ8歳のころ妹バーバラと一緒にいるときに、ルドルフが「ラジオに出演したから聴いてくれ」と言ってきたそうです。二人とも聴いてびっくりしたそうです。ルドルフの歌声が聞こえてきたそうです。でもよく調べてみると、ラジオの後ろにテープレコーダーがあるのを発見し自分で録音したテープを流していただけだったそうです。それもかなり凝っていて自分で司会者の役までこなしていたそうです。マイケル、バーバラにこんなおちゃめなイタズラをするお兄ちゃんでもありました。その後、ルドルフはマイケルがUFOから失踪した時やマイケルがMSGで活動するときなど、常にマイケルの相談に乗り、そして、マイケルの話の聞き役に徹し、マイケルの苦悩をやわらげ、アドバイスをして、いつも寄り添って、弟思いのやさしい兄でもありました。

■マイケル・シェンカー(Michael Schenker)

1955年1月10日にハインリッヒ・シェンカーとウルズラ・シェンカーの間に次男として誕生します。BURRN!1986年11月号の「ハノーヴァー物語」で次のように語っています。マイケルは8歳になろうとするとき東ドイツにいる親戚の家でクリスマスを過ごしていたことがあったそうです。その時に父ハインリッヒはヴァイオリンを持って行ってたそうです。昔、習っていた時のヴァイオリンだそうで、そのヴァイオリンを父ハインリッヒが部屋に持ってきたとき、マイケルはいきなりクリスマス・ソングを引き始めたそうです。それまで、1度もヴァイオリンだけでなく、楽器を弾いたことがなかったそうです。この出来事は母ウルズラの義姉がその話をして思い出させてくれたエピソードだったと語っています。マイケルが10歳の時に兄ルドルフが「スコーピオンズ」を結成したことに影響を受け11歳になるとマイケルは自身でも「ジ・イノヴェイツ」というバンドを結成します。その「ジ・イノヴェイツ」の活動の一貫でステージで演奏するときは、母ウルズラに毎回来て欲しがったそうです。マイケルにとって母ウルズラはバロメーターのような存在だったそうです。まだ、11歳、12歳の若さのマイケルがステージに立ちプレイする際、特にソロを弾くときは母ウルズラは必ずマイケルの視界の中にいてマイケルに合図を送らなければならなかったそうです。音量が大きすぎるなど合図を送り目でOKの合図を送るなどしていたと母ウルズラは言っています。また、そうするとマイケルは嬉しそうに喜んだと言っています。

■バーバラ・シェンカー(Barbara Schenker)

1966年7月2日にハインリッヒ・シェンカーとウルズラ・シェンカーの間に長女として誕生します。BURRN!1986年11月号の「ハノーヴァー物語」で次のように語っています。末っ子のバーバラに対して母ウルズラは「今でも悪いことしてしまったと思っています」とというのは昔、ルドルフ、マイケルがステージに出る時は、いつもバーバラひとりが家で留守番をしていたそうです。バーバラを連れて行く事も考えましたが、ルドルフやマイケルが演奏しているステージはダンス・ホールなどが多かったそうでバーバラはまだ小さすぎた女の子だったからと言っています。父ハインリッヒに母ウルズラはテレビを買うように説得したそうです。しかし、夜7時になるとバーバラはソファに座って一晩中テレビを見ていたそうです。母ウルズラはそのことを「今でも悪いことしてしまったと思っています」と言ったのではないかと思われます。1982年VIVA ROCK創刊号7月号にバーバラ・シェンカーが兄ルドルフ、マイケルについて思い出を語った記事が掲載されています。もちろん両親に関しても語っています。妹バーバラの記事によれば、母ウルズラは1982年の時点で66歳で、当時も電話交換手として働いていた。一方、父ハインリッヒは63歳で自らすすんで恩給退職を申し出て、南ヨーロッパでガールフレンドとともに暮らし、人生を楽しんでいたそうです。この時点で両親が離婚していたかどうかは、この記事では明記されていません。またこの記事には、バーバラが自分の出生を悲観的に語る記事があります。「実は私、みんなから望まれて生まれたんじゃないの…だから、生まれた時からすでに人生と闘わなければならなかったみたい。こらは私の人生にとって本当に重要な部分だと思うのよ。」と言っています。また兄貴たちにはずいぶん世話になったけど、その反面イジメられたりした(子供の頃)といい、バーバラは自分でマイケルっ子と言っています。いつもマイケルのお尻にくっついていたと言っています。マイケルは「イタズラの天才」と前置きしてマイケルとバーバラでルドルフにいたずらをしたエピソードを語っています。バーバラとマイケルでルドルフを部屋におびき寄せ、鎖でベッドにグルグルに縛り付け、頭からジュースをジャーってかけるというイタズラで、ルドルフはギャーって泣きわめいて、ママを呼んだというエピソードです。・・・かなりハードなイタズラですね(汗)これらのエピソードからしても兄弟の仲の良さやバーバラのワンパクぶりも伺えます。そんなワンパクなバーバラでも外で男の子にいじめられて泣いて帰ったことがあったそうです。そんなバーバラを見て冷静なルドルフは家を飛び出して仕返しに行ってくれたとバーバラは振り返っています。その時ルドルフは裸足だったそうでそれを見たバーバラは「やっぱり頼れる私の兄貴だなぁ」と実感したそうです。また、母ウルズラもバーバラは3人目の息子のようなものでしたと振り返っています。バーバラは器械体操に夢中になり毎日3~4時間トレーニングに打ち込んでいました。しかしその努力もむなしく膝を痛めてしまい選手生命を絶たれてしまいました。そして、それをきっかけに音楽へ方向転換しました。キーボード奏者として活動し、ソングライターとしてもバンドの楽曲制作に携わっていました。1980年~1983年ハノーバーで結成されたハードロック・バンド「Viva」の創設メンバーの一人として、キーボードを担当していました。Vivaでは中心的なメンバーとして活動し、3枚のアルバムをリリースしました。『Born to Rock』(1980年)『What the Hell Is Going On!』(1981年)『Dealers of the Night』(1982年)また、バーバラはVivaの楽曲の多くを作曲したとされています。月刊誌VIVA ROCK1982年創刊2号8月号の記事でスコーピオンズのライブ会場のハマースミス・オディオンの楽屋でルドルフ、マイケル、バーバラ3兄弟妹が7年ぶりに会しました。その時、ルドルフは「バーバラ、バンドの方はどうだ?」と問いかけ、バーバラは「おかげさまで、順調で大忙し」と言っていました。しかし、その1年後の1983年、バーバラはVivaを脱退します。その理由については、「バンドの成功とともに男性メンバーの態度が変わったこと」を示唆する記述がありますが、本人による詳しい説明は確認できていません。さらに1984年、ドイツの音楽誌「Metal Hammer」において、バーバラは「Best National Keyboard Player(最優秀国内キーボード奏者)」に選ばれました。資料によって1984年と1985年の表記に違いがあるのですが、受賞そのものは複数の資料で確認されています。そして、1986年、女性ハードロック・バンド「Rosy Vista」に加入し、キーボードを担当します。約1年半にわたって在籍し、1986年にはシングル『Tables Are Turned / Rocking Through the Night』のレコーディングにも参加しました。1988年、Rosy Vistaを脱退。脱退の理由について、後年のRosy Vistaのメンバー、アンカ・グラテロルは「なぜ脱退したのか、はっきりとは覚えていない」としながらも、当時のバーバラの恋人が関係していた可能性を挙げている。バーバラはその後、その恋人とともにイギリスへ移っており、バンド内のトラブルによる脱退ではなかったとされています。1988年、ドイツのヘヴィメタル・バンド「Cannon」のアルバム『Thunder and Lightning』にキーボード奏者として参加。これはバンドの正式メンバーというより、キーボードによるゲスト/セッション参加として記録されています。その後、フランスのミュージシャン、フィリップ・マンカ(Philippe Manca)らと「The Team」というプロジェクトにも参加しています。バーバラがキーボードを担当していたことは複数の資料で確認できますが、活動時期や作品については資料が少なく、詳細な年代については不明です。2007年6月、バーバラがかつて在籍していたVivaを再び始動します。1980年代のVivaでボーカルを務めたマルコ・パガニーニ(Marco Paganini)らとともに、新たなメンバーでVivaとしての活動を再開しました。2012年まで活動しましたが、その後Vivaは活動を終了しました。2009年頃から、自身の音楽プロジェクト「SchenkersSister」を本格的に展開します。実際には2005年頃からSchenker Sister名義で活動を始めており、ロンドンのラジオ局LBC 97.3FMでは、自作・演奏による「Rock Jingle」が放送されていました。また、2006年にはMySpace(2000年代に流行したSNS)で自身の楽曲を公開しています。2009年にはDean Guitarsのアーティストとなり、ロンドンで行われた同社のイベントにも参加。2010年にはSchenkersSister名義で「Rock Jingle」の映像を公開し、複数のインタビューにも登場しています。2011年には新しい動画を公開するとともに、SchenkersSisterのTシャツを販売するなど、活動を継続。2012年1月には「Just Me」をiTunesでシングルとしてリリースしました。その後、2013年以降の具体的な音楽活動については、現在確認できる資料が非常に少なく、詳細な活動歴は明らかになっていない。ただし、2023年の訃報などでは、SchenkersSisterでの活動歴が紹介されています。2023年4月13日、56歳で死去。死因は公表されていません。

【出典】
・マイケル・シェンカー フライングV伝説 新興楽譜出版社 1982年3月25日初版発行 筆者 伊藤政則
・月間ロッキンf 1983年 9月号臨時増刊 株式会社 立東社 1983年9月30日発行 P.35~39
・VIVA ROCK 1982年(創刊号)7月号 音楽専科社 1982年7月1日発行 P.4~9 P.111~117
・VIVA ROCK 1982年(創刊2号)8月号 音楽専科社 1982年8月1日発行 P.111~117
・月間VIVA ROCK 1983年 12月号 音楽専科社 1983年12月1日発行 P.112~117
・月間VIVA ROCK 1984年 3月号 音楽専科社 1984年3月1日発行 P.111~117
・月間VIVA ROCK 1984年 6月号 音楽専科社 1984年6月1日発行 P.30~33
・BURRN! 1986年11月号 株式会社シンコーミュージック 1986年11月1日発行 P.31~33
・BURRN! 1986年12月号 株式会社シンコーミュージック 1986年12月1日発行 P.34~35
・BURRN! 1987年1月号 株式会社シンコーミュージック 1987年1月1日発行 P.38~39
・ウェブサイトEncyclopaedia Metallum(The Metal Archives)
https://www.metal-archives.com/artist.php?id=135988
・ウェブサイトEncyclopaedia Metallum(The Metal Archives)
https://www.metal-archives.com/bands/Viva/28918
・ウェブサイトThe BNR Metal Pages
https://www.bnrmetal.com/v5/band/band/Viva

■ガビ(Gabi)[1970年代初頭~] 

ガビの名前は、資料によって「ガビ」「ガヴィ」「ガービ」「ガーヴィ」など、さまざまなカタカナ表記が見られます。また、英語表記も「Gabi」「Gaby」などの違いがあります。本サイトでは、マイケル本人のインタビューで「Gabi」と表記されていることを確認したため、「ガビ(Gabi)」に統一して表記します。マイケルが16歳の頃に出会った女性でマイケルが17歳でイギリスへ渡った際にも一緒に暮らしていました。ロンドンのPalmers Green(パーマーズ・グリーン)の家で同居していたとマイケル本人が回想しています。1977年6月、UFOから再び姿を消した「2度目の失踪」の時、マイケルは、ガビ(Gabi)を伴ってドイツ・ハノーバーへ戻ったとされています。本サイトの「HISTRY」にも記述していますが、マイケルは、UFOから1977年「2度目の失踪」の際のガビと南フランスでスクーターを購入しバルセロナを経てタラゴーナを北上しドイツへ入りました。ピートに戻ってくるように説得され、その後、8月下旬にUFOのメンバーの前に姿を現しています。そして8月26日レディング・フェスティバルのバック・ステージにガビとマイケルは姿を現しポール・チャップマンにUFOをサポートしてくれたお礼に訪ねたとされています。1981年8月号MUSIC LIFEの来日直前インタビューでプライベートな質問にも次のように答えています。結婚した時期を尋ねた質問に対して「うーんとね、この前の誕生日で僕いくつになったんだったっけ?えーと70年の11月だったっけかな」「僕が16歳の時は、もう彼女と一緒に住んでたよ・・・」「僕まだ離婚してないんだよ。まだ結婚してるんだ。」「ここ1年半くらい別居してるけどね。別に離婚のことは考えてないよ。」「別に誰かが現れたらわからないけど」と言っていました。当時はこのインタビューを呼んだ読者はマイケルは16歳という若さで結婚してたんだぁと受け取ったのではないでしょうか。そして1984年6月号の月刊VIVA ROCKのインタビューでは「16歳って結婚した年なんですって?」の質問に「ううん、16歳の時に会ったコと78年に結婚したんだ。」と言っています。これらを分析すると1981年8月号MUSIC LIFEの来日直前インタビューであたかも16歳で結婚していたかのような返答でそれが定説になり3年後の別の雑誌媒体のインタビューで78年に結婚していたことが判明したんだと思われます。これらを鑑みて、そらくマイケルは23歳の時に結婚したんだと考えられます。また、1981年8月の時点で1年半くらい別居していたということは1980年くらいには別居していたことになります。

■パム(Pam)[1982年頃~]

日本の音楽雑誌では「パム」「パメラ」「パメリア・チェック」など、カタカナ表記に揺れが見られます。また、マイケル本人のインタビューでも「パム」「パメラ」「パメリア・チェック」など、呼び方が一定していません。また、英字表記については、現時点で手元の雑誌資料から「Pamela」「Pamelia Check」という綴りは確認できていない状態です。そのため、本サイトでは資料に記載された表記を尊重し、「パム(Pam)」を基本表記としています。パムは南アフリカ生まれのイギリス人。マイケル本人によれば、初めて会ったのは1982年頃、アビイ・ロード・スタジオで、お互いその時から心をひかれ交際が始まります。Tyson Schenker(タイソン・シェンカー)が1984年5月5日に誕生。出生地はロンドンです。1986年10月18日にTaro(タロ)が誕生。資料によっては結婚・離婚時期の記述が曖昧なため、詳細は不明です。そして、パムは雑誌の取材や写真などのメディアにマイケルと一緒に露出することが多くマイケルのパートナーとして、多くのファンが知っています。1984年6月号のMUSUC LIFEの直撃会見の見出しに「パムさえいれば幸福‼」と大々的に報じています。また、1984年8月に日本で行われた「SUPER ROCK’84 IN JAPAN」にパムと生まれたばかりのタイソンも同行していたようで、ライヴのVHSやDVDの「I’M GONNA MAKE YOU MINE」の時に一瞬マイケル、パム、タイソンが写し出されます。それは、本サイトの「MUSIC」の「I’M GONNA MAKE YOU MINE」のYouTubeを貼り付けているのでご覧いただければと思います。そして、1984年10月号のBURRN!創刊号ではマイケル、パム、まだ生まれて3ヶ月のタイソンのカラー写真が見開き全面に出ています。さらに、1986年10月号のBURRN!でドイツでの取材インタビュー後半にマイケルが2歳のタイソンを抱き、パムが寄り添うカラー写真などが掲載されています。そして、1986年2月号のBURRN!にもドイツで行われたMonters Of Rockに出場した時の取材インタビューの記載のかたわらその時のスナップがあり、そこにもマイケルとパム、タイソン家族が手をつないでいる写真が掲載されています。その写真には「Soon you’re going to have a younger brother, Tyson.(もうすぐ、弟ができるよ、タイソン。)」と書かれています。確かに写真を見るとパムが少しふっくらしているようにも見えます。1984年6月号のMUSUC LIFEの直撃会見で、アルコールを絶ったことにふれ、きっぱり絶つつもりだと、パムと婚約した時にシャンペンを飲んだだけと言って、「マイケルには奥さん(ガビ?)がいるんじゃなかった?」の問いに「4年間別居してる妻がいるけど彼女とは口もきかなくなって久しい…。」「妻(ガビ?)は、4年前は離婚が待ち切れないっていう態度だったのに、この頃は家や金を手に入れようとして離婚を承諾しないんだ。」と言っていました。また、「赤ちゃんが生まれるんでしょ?」の問いには「どういう名前がいいか調べようと思っているんだ。」と嬉しそうに言っていたそうです。そして「パムも旅行が好きだから、子どもが出来たら親子水入らずでオン・ザ・ロードの生活をするよ。パムさえいれば幸せだから」と言っていました。

■ベラ・パイパー(Bella Piper)[1990年代~]

1990年頃に出会ったとされています。1990年代半ばにはマネージャー的な立場でもマイケルを支え、1996年頃の「Written in the Sand」の時期にも関係しています。マイケルとの間にChinua(チヌア)とEssenz(エッセンス)の2人の娘がいます。婚姻関係ではなく、内縁関係とされています。マイケルとベラの出来事に関する詳細は、本サイトの「HISTOY」のタイトル「■洗礼 2003~2004」に掲載しています。2011年12月12日マイケルのオフィシャルサイトからベラ・パイパーの突然の訃報が入りました。マイケルは次のような言葉を残しています。「I was very shocked and saddened to hear about Bella’s sudden death. My deepest sympathy goes out to my children for the loss of their mother. My thoughts are with my children right now during this tragic time. I deeply appreciate all the support my children have received during such a devastating time.  May God bless you. Michael ベラの突然の死を知り、私は大きな衝撃を受け、深く悲しみました。母親を失った子どもたちに、心からお悔やみを申し上げます。今この悲劇的な時を迎えている子どもたちのことを、私は案じています。このような悲痛な時期に、子どもたちが多くの支えを受けていることに、心から感謝しています。神のご加護がありますように。マイケル」享年56歳でした。

■リンダ・シェンカー(Linda Schenker)[1990年代後半~2000年代初頭]       

マイケルの妻。2002年前後には離婚・別居状態となっていたことが資料から確認できます。1999年1月、マイケルと一緒に来日して、1999年1月13日、東京・御茶ノ水のDisk Unionでマイケルのサイン会がありました。その時にLindaがマイケルに同行していたことは、当時のファンサイトの現場報告で確認できます。また、1999年3月時点で、マイケルとリンダは子どもを授かっており、8月に出産予定であるという内容の記事が掲載されています。また、2008年のアメリカの有名なギター専門音楽雑誌「Guitar World」 は、後年のマイケルとのインタビューの中で、リンダを一貫して“my wife”と記録しています。さらに記事本文でも、“Schenker’s wife, Linda”“his ex-wife Linda”としています。したがって、少なくとも2000~2002年頃のマイケルとリンダは、英語圏の主要音楽誌から「妻」と認識されていたと考えてよいと思います。ただし、結婚した年月日そのものは、まだ確認できていません。そして、2000年4月、Michael Schenker Fan Clubが閉鎖されることになった際、ファンクラブに掲載された文章の署名が、「SINCERELY,LINDA/MSR」となっています。内容は、「2000年4月30日をもってファンクラブを閉鎖します。将来再開する準備ができたら、招待状を送ります」というものです。つまり、リンダは少なくともこの時期、Michael Schenker Records(MSR)関係のファンクラブ業務に実際に関わっていたと考えられます。また、2002年4月の Young Guitar のインタビューについて、同時代の記録にはマイケルの発言として、「MSRのサイトに関してもワイフが維持したいと思えば、勿論そうして貰って構わないけど…」とあり、注目するところはマイケル本人がこの時点でLindaを明確に “wife” と呼んでいるところです。したがって、少なくとも2002年4月時点でリンダはマイケルの妻であるということが分かりました。2008年の アメリカの有名なギター専門音楽雑誌「Guitar World」 で、マイケルは2002年について、“That year was a disastrous time.”(あの年は、本当に大変な時期だった。)と振り返っています。●スタジオ建設に約90万ドルを費やした●経営的に無理があると気づいた●妻に中止したいと話した●妻は非常に失望した●妻はスタジオ・ビジネスに強く執着していた●マイケルが機材を売ろうとした●妻はその売却を自分で管理したがった●最終的に資産がなくなった・・・“we broke up” (僕たちは別れた)マイケルにとって非常に大きなショックだったと話しています。これらを鑑みると2002年にはマイケルとリンダの関係が破綻していたと考えられます。2008年の 「Guitar World」 には、さらに具体的な記述があります。2002年頃、「リンダはマイケルの私物の大部分を売却し、その後、2人の息子を連れてタイへ移った」という内容です。そして、2005年には、マイケルとリンダの対立が表面化します。2005年12月、マイケルはMSGのアメリカ・ツアー「Tales of Rock ‘n’ Roll」の中止を発表しました。その理由として、ベラ・パイパーとリンダ・シェンカーに求めていた「正式な書簡」を受け取っていないことを理由に挙げました。しかし、この「書簡」が具体的に何を意味するのかについて、マイケルの声明では詳しく説明されていません。同年11月には、養育費を支払ったにもかかわらず、さらに支払いを求められ、パスポート停止、資産凍結、拘禁などの可能性を示されたとマイケルは主張しています。したがって、リンダとの養育費問題が背景にあったことは伺えますが、ベラに求めた「正式な書簡」が養育費に関するものだったかどうかは、現時点では確認できません。2002年頃から両者の関係は破綻し、後に養育・金銭問題を巡ってマイケル、リンダの双方の主張が対立しました。ただし、リンダとの養育・金銭問題について、その後どのような形で決着したのかを具体的に示す公開資料は、現在確認できていません。

■アヤコ・キタゾエ(Ayako Kitazoe)[Unknown]

マイケル・シェンカーの長年のパートナー。2025年1月10日、マイケルの70歳の誕生日に結婚しました。この情報は、マイケル自身の公式サイトで本人が公表しました。2025年2月24日「マイケル・シェンカーが結婚を発表」と題して、マイケルとアヤコは、2025年1月10日に結婚することを発表できることを大変嬉しく思っています。「私たちは幸せだし、これからもロックンロールし続けるよ。みんなに愛を込めて」マイケルとアヤコ。
二人の交際開始時期や、キタゾエ・アヤコの詳しい経歴については、現在確認できる公開資料が少なく、詳細は不明です。
https://michaelschenkerhimself.com/news/michael-schenker-announces-marriage/?utm_source=chatgpt.com


【出典】
・マイケル・シェンカー フライングV伝説 新興楽譜出版社 1982年3月25日初版発行 筆者 伊藤政則
・ウェブサイトLouder Sound/Michael Schenker インタビュー(2024年1月10日)
https://www.loudersound.com/features/michael-schenker-career-interview
・MUSIC LIFE ミュージック・ライフ 1981年8月号 新興楽譜出版社 1981年8月1日発行 P.125~129 P.151 P.178
・MUSIC LIFE ミュージック・ライフ 1984年6月号 新興楽譜出版社 1984年6月1日発行 P.106~110
・月間VIVA ROCK 1983年 12月号 音楽専科社 1983年12月1日発行 P.112~117
・月間VIVA ROCK 1984年 6月号 音楽専科社 1984年6月1日発行 P.30~33
・月間ロッキンf 1983年 9月号臨時増刊 株式会社 立東社 1983年9月30日発行 P.35~39
・BURRN!1984年10月号(創刊号) 株式会社シンコー・ミュージック 1984年10月1日発行 P.6~7
・BURRN!1986年10月号 株式会社シンコー・ミュージック 1986年10月1日発行 P.2~8
・BURRN!1987年2月号 株式会社シンコー・ミュージック 1987年2月1日発行 P.49~52
・Young Guitar 2002年4月号、株式会社シンコー・ミュージック 2002年4月1日発行P.88~91
・ウェブサイトMichael Schenker Fan Club Newsletter Issue #6(1999年)/R.B. Araki「Michael Schenker Tour Information and News」1999年3月29日更新
https://www.rbaraki.com/notice3-e.htm?utm_source=chatgpt.com
・ウェブサイトChris Gill, “Michael Schenker: Brick By Brick,” Guitar World, November 2008
https://www.guitarworld.com/features/michael-schenker-brick-brick?utm_source=chatgpt.com
・ウェブサイトR.B. Araki, “Michael Schenker Tour Information and News,” [04/17/00]
https://rbaraki.com/notice2000f-e.htm?utm_source=chatgpt.com
・ウェブサイトR.B. Araki, “Michael Schenker Tour Information and News,” [04/16/00], [04/17/00].
https://rbaraki.com/notice2000f-e.htm?utm_source=chatgpt.com
・ウェブサイトMichael Schenker公式サイト「Message to my fans in USA」(2005年12月21日)/R.B. Araki “Michael Schenker Tour Information and News”[12/22/05]
https://rbaraki.com/notice2005l-e.htm?utm_source=chatgpt.com
・ウェブサイトMichael Schenker本人の声明(公式サイト「Himself.com」内「To My True Fans Only」掲載、2005年12月)
https://rbaraki.com/notice2005l-e.htm?utm_source=chatgpt.com
・ウェブサイトMichael Schenker公式サイト、2025年1月10日付の結婚発表
https://michaelschenkerhimself.com/?utm_source=chatgpt.com

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